白鳥を弾くまで

チェロを弾きながら穏やかに軽やかに暮らしたい主婦のブログ

夫のコロナ感染の経過

夫が海外赴任先でコロナに感染し、陰性に転じてから一か月たちました。

今は元気になり仕事もできています。

ただ少し味覚嗅覚障害が残っているそうです。

夫のコロナ感染経過

  • 発熱3日目

38度前後の発熱が続いてPCR検査、血液検査を受けました

  • 発熱4日目

検査の結果は陰性

血液検査の結果がおもわしくないので肺CTを受けにくるよう呼び出されました。

肺炎の兆候が見られるとのことでコロナ疑いとなり、念のためアビガン、解熱剤、抗生物質などを処方されました。

  • 発熱10日目

一向に熱が下がる様子がなくPCR検査を受けました。

検査が陰性なら、一体何の病気なの?と心配でたまらない日々でした。

一応自宅で療養しながら仕事もしていたようですが、日に日に弱っていくような気がして、1日に何度もLINEしたり、電話したり、夫の様子を確認する状態でした。

  • 発熱11日目

検査の結果は陽性

すぐに隔離ホテルに搬送されました。

やっぱりコロナだったんだ。

病名がわかり、逆にすごく安堵しました。

隔離ホテルにWi-Fiがないと連絡が取れなくなり心配でしたか、幸いWi-Fiが繋がって連絡が取れたのでよかったです。

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ビジネスホテルです。

何故ベッドが二台あるのかわかりませんが、家族で隔離されることもあるからですかね?

ティッシュや歯磨きセット、トイレットペーパーすらなかったそうです。

一番ビックリしたのはフロントへの電話が繋がれていなかったこと。

容体が急変しても助けを求められないのでフロントに駆け込むしかないねと話をしていました。

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廊下に机が置かれていてお弁当を置いてくれます。

紙にトイレットペーパーなどか欲しいと書いて置いておくと持ってきてくれたそうです。

部屋のクリーニングやシーツ交換は当たり前ですがなしです。

自分で下着などは洗って干していたそうです。

療養中のお弁当はこんな感じです。

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インドネシア料理が苦手なわたしだったらちょっと無理そうな内容ですが、何とか食べていたみたいです。

隔離ホテルは偶然夫の会社近くでしたので、会社の人が果物や飲み物などを差し入れてくださってました。

自宅療養の時も、日本人のお友達や会社の方が買い物に行けない夫のためにたくさん差し入れをしてくださり、感謝しかありませんでした。

  • 発熱12日目

やっと熱がさがりました。

咳はずっと続いていました。

毎日医師が部屋に来て診察をしてくださったので日本以上に手厚いのでは?と感じます。

この頃インドネシアの感染拡大のニュースが日本でも大きく報道されていました。

酸素を求めて町に溢れる人、入院もできずに自宅で亡くなっていく人々、、

初期からアビガンを処方され、血液検査、CT検査もしていただき、ホテル療養までさせてもらった夫は本当に幸運でした。

  • 発熱から17日目

PCR検査を受けました

  • 発熱から18日目

検査結果が陰性

自宅に戻ることができました。

  • 発熱から19日目

何故か?またPCR検査を受けさせられました。

  • 発熱から20日目

検査結果が疑陽性

ひとつの数値が陽性でもうひとつの数値が陰性でした。

治ってもしばらく検査で陽性と出ることがあるらしいです。

またしばらく自宅隔離になりました。

  • 発熱から26日目

PCR検査を受けました

  • 発熱から27日目

検査結果が陰性、肺CTも肺炎の症状が改善し、外出可能となりました。

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闘病中、自宅の花の写真など送っていました。

4週間のコロナとの戦いの日々でした。

夫はほぼ会社と自宅ホテルと時々スーパーしか行っておらず、人一倍感染に気をつけていました。

まったく心あたりなく感染したのです。

一番心配だった夫の専属ドライバーさんへの感染はなくよかったです。

それにしても療養中もずっとパソコンで仕事をしていた夫。

仕事をしないで休んで!と何度も言いました。

解熱剤で下がっている間に仕事をすると言って聞いてくれなかったです。

夫にしかできない仕事があるからです。

日本の本社は日本人一人体制でインドネシアの会社をまわしていることに危機感を抱かなかったのでしょうか。

そのことがずっともやもやしています。

それでもただ夫が生きていてくれてよかった。それだけです。